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札幌 (1) 旧北海道庁舎

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赤レンガ建築第二弾。
札幌、いや北海道の象徴と言って浮かべるのは、この赤レンガの旧北海道庁舎であろう。
1888年(明治21年)竣工、アメリカ風ネオ・バロック様式の建築。
見た瞬間、優雅ながらも雄々しいその姿には、厳しい冬の自然にも負けぬ当時のフロンティア・スピリッツを感じとることが出来る。
館内の見学もなかなか有意義。
昔の洋館は素敵だが、この建物のスケールの大きさは類を見ない。
階段、廊下、天井、皆でっかいどう〜。
開拓当時を含めた北海道の歴史を辿ることが出来る展示室が幾つも続く。
前回昨秋の訪問、数々の展示品を見て気になったのは「南樺太(みなみからふと)」。
1945年迄は樺太の南半分は日本領であり、普通に日本の地名が付けられ、都市が展開しておった。
そう、日本の神社や学校なども当然多数建てられていたようだ。
林業、水産業が栄え、石油や天然ガス等の地下資源にも恵まれた地であった。
北方領土については返還運動が長く続いているが、この「南樺太を返せ」、という声が殆ど聞かれないのは何か理由があるのであろうか、勉強不足でお恥ずかしいが学んでみたい。
もし南樺太が日本領のままであれば。。。。
「宗谷海峡」が多くの演歌のタイトルになった、日本百名山に樺太の山が多数入って来る、青春18きっぷの乗車範囲がとてつもなく広大となる、等々ツマラン妄想が思わず拡がる。
いや、軍事的にも産業的にも、日本にとっては重要拠点となっていたに違いない。
兎にも角にも、あと3週間ほどで、この道庁にまた足を運ぶ予定である。
年老いた両親が待つ札幌、我が故郷である。

PS 今朝の報道に吃驚。五輪マラソン、札幌で確実だって⁈

# by ptaro2009q2 | 2019-10-18 06:12 | 北海道
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毎週水曜日は概ね「読書・DVD 鑑賞デー」にして本や映画・ドラマに浸る日にしている。
現役第一線を退き、自分の時間が格段に増えた状況で、水曜日は特にこれまで積読状態だった古い本の畑を耕し、また過去の名作や話題作と言われる映画を出来るだけ見るように努めている。何だか過去30年40年、忙しさにかまけて忘れて来た宝物、全く意識が及ばなかった分野の貴重品をひとつひとつ拾っては過去を想い現在を照らし出す時間は悪くない。
昨日は、午前中何度か観ていたDVD、小林聡美主演の『かもめ食堂』『めがね』を続けて観てまったりとした後に近所の図書館に行き何冊かを借りて来た。
一冊、肩の凝らない写真集も。ー『日本の最も美しい赤レンガの名建築』(歴史的建物研究会著 エクスナレッジ社)
近代化や権威を象徴する駅舎、庁舎、学校、軍事施設、橋、水門など、今も威厳に満ちた佇まいを誇る75の建築物を厳選し一冊に収めた写真集、馴染みの建物も少なからず、懐かしい気分でページをめくった。
最も馴染みのある赤レンガ建物は写真の「国立近代美術館工芸館」だ。
元々は近衛師団司令部庁舎で明治43年竣工の軍事施設であったが、現在では工芸品やデザイン作品などを展示する美術館となっている。
嘗て勤務先のオフィスが四谷や麹町にあった数年は、通勤時オフィスの最寄り駅ではなくかなり手前の地下鉄・竹橋駅で下車し、30分を歩く早朝にしていたが、それも何を隠そう、この赤レンガ館を見るためだったと言って過言ではない。
竹橋から緩い坂道を進み、北の丸公園の先にこの赤レンガが視界に入ると、遠目だが思わずその端正な佇まいに背筋がピンとしたものだ。
目には見えないが嘗ての軍事施設だった頃の鋭い威光が残っているかのようである。身が引き締まる。
同時に現在の芸術の殿堂としての美的センスや優しさの空気もじわじわと感じられたものだった。
緊張と弛緩というか、厳しさと優しさを同時に内包する建物、仕事前のストレス、モヤモヤも忘れさせてくれる、体に沁み込んだ忘れ得ぬ建物である。



# by ptaro2009q2 | 2019-10-17 10:15 | 東京

小岩 (1)

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昨日は毎週やっているH先輩とのお散歩会。
ほぼ隔週で訪れる定番コースその1、午前10時JR市川駅集合、10分強を歩き、荒川ほとりの小岩菖蒲園へ向かう。
堤防を降りた広い河川敷の中にある都立の菖蒲園(入場無料!)、広い空の下で整備された花壇を眺めながらお互いの近況報告、ボサノバやジャズ、時に歌謡曲を流しワインをたしなむ2時間ほどの時間だが、昨今の我が暮らしの中では大きな愉しみになっている。
予想はしていたが、台風19号の猛威は荒川下流の当地にまで及び、荒川に架かる市川橋上から見下ろす河川敷の状況は台風のツメ跡が生々しく残っていた。何面もの野球グラウンドは大水に浸され、超広大な面積を持つ河川敷ではあるが堤防下にある公衆トイレには1m程までに水位が上昇していた泥水のあとがくっきりとついていた。想像を絶するおびただしい水量がこの地に押し寄せたことを知り戦慄した。堤防決壊を免れたことは幸いだったが、近隣の方々はさぞかし恐怖の夜を過ごされたこと、想像に難くない。二子玉川地区の浸水の惨状画像がフラッシュバックした。
菖蒲園の所定のベンチへ行こうと芝生の上を歩き始めたが、芝生は泥水でぬかるんでおり歩行困難、新調したNewBalance のスニーカーも泥まみれになってしまった。
結局、菖蒲園でのひとときは諦め、堤防上の小公園のベンチに腰をおろしての2時間を過ごすことになった。
先ずはお互いの無事を祝し乾杯、天災の怖さ、311の時の話(当時H先輩はシンガポール駐在)、世の無情、防災体制、政治家や自治体の対応などなどについて話が尽きない。ラガーマンだったH先輩、先日のスコットランド戦の話も少々。次戦南アフリカが対戦相手となるが、南ア出張の経験もある先輩の昔話も聞かせて頂いた。
夜は更に同じテニス仲間のKちゃんと神田で合流、長野が営業テリトリーの一つで聊か心配とのことだったが、楽しい夜を過ごすことができた。

# by ptaro2009q2 | 2019-10-16 10:46 | 東京

佃島 (2)

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米国銀行時代の後輩N君、現在は米国税理士として国際的に活躍され、また最近では某私大大学院でも教鞭をとっておられるが、長く東京都中央区の佃の高層マンションに住まわれている。
隅田川下流に埋め立てられた佃島の摩天楼群、恰もマンハッタンの景観を想起させるが、銀座にもほど近い至便な地はちょっとした憧れの的でもある。
そんな彼が先の台風一過の際にFacebookで以下のように呟いていた。

  “ 素人の感想ですが・・
  隅田川に面した我が家周辺が無事だったのは、
  徳川家康の治水事業とスーパー堤防のお陰。
  新旧の土木技術に感謝すると共に、
  国家数百年を見据えたインフラ整備は大事かと。”

高層マンション上階に住むN君、先の台風15号の際も暴風で建物が揺れ続けてかなりの恐怖を感じたようで、今回の台風前には、それ以上の隅田川氾濫・浸水、停電、窓ガラスの破損なども半ば覚悟されていたようだったが、いやいや兎に角ご無事で何より。
関ヶ原の戦いや大阪冬の陣・夏の陣などでしたたかな戦国武将ぶりを見せた徳川家康だが、250年近くの「江戸時代」の基盤を作った家康の功績は大きかったとつくづく思う。
昨年末だったが、門井慶喜の『家康、江戸を建てる』という小説を読んだことを思い出す。
正月に同著がNHKでドラマ化されると知って慌てて読んだのであるが、江戸幕府の指揮のもと荒地だった土地を開拓し川の流れを変え治水対策もした仕事人達の様子が描かれていた。
随所に家康の都市計画への思い、先見の明が描かれた好著、もう一度ゆっくり読み直してみたい。




# by ptaro2009q2 | 2019-10-15 06:33 | 東京

オランダ ライデン(7)

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ライデンの写真を掲載しながら全くライデンに触れぬ記事を2日間続けてしまったが、今回がライデン一応最終回。
16世紀に、いわゆる八十年戦争中にスペイン軍の包囲を耐え凌ぎ独立にまでこぎ着けた勇敢な町の1つとして数えられたライデン。1575年に独立を記念して設立されたライデン大学はオランダ最古の大学として知られる。人口12万人の小都市だが、同大学の学生数が2万5000人ほどの学園都市の顔を持つ。
ライデン大学は世界で最初の日本学科が設立されたことでも知られており、オランダ唯一、ヨーロッパ最大規模の日本学研究の拠点となっている。日本学科には1学年あたり100名前後の学生が在籍しているようだ。街中には展覧会の宣伝であろうか、日本のアニメや浮世絵の看板が散見されたが、こうした日本文化に触発された若者達が異文化を学ぶ。
宿泊したホテルのご主人とも雑談する機会があったが、欧州で活躍する日本人サッカー選手を語り、知っている日本語の挨拶を連発する楽しいスキンヘッドのオジサンであった。
江戸時代に西洋医学を日本に紹介し日本文化にも精通した医師シーボルトが居ついた土地でもあるライデン、何だか街全体に日本が漂っているようで歩いていても仄かに心地よい。
ハブ空港であるスキポール空港からは電車で僅か15分と交通至便、東京で言えば羽田空港からモノレールで浜松町までの近さである。北へ30分で首都アムステルダム、西南方向へは政治の中心地のデン・ハーグ、フェルメールゆかりの地で焼き物で有名なデルフト、欧州を代表する貿易港であるロッテルダム、といったオランダを代表する幾つかの都市が北海に沿ってほぼ一直線上に並んでいる。国際列車に乗ってこの幹線を更に南下すれば、ベルギーのアントワープやブリュッセル、果てはそのまま直通でパリに行くことも出来る。
実際このルートで10日間ほどを旅したのであるが、欧州西部の旅をお考えの方には是非お勧めしたいライデンである。

# by ptaro2009q2 | 2019-10-14 08:42 | Netherlands

オランダ ライデン(6)

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首都圏は台風一過、昨日猛威を振るった恐ろしい天候が嘘のような快晴の朝である。
昨日は昼12時には仕事は打ち上げ、その後は自宅でずっと台風中継を注視していた。
経験があるわけではないが、世の中全体が外出も出来ず閉じこもる、恰も「戒厳令の夜」のような気分であった。
夜9時ほどから自宅ある千葉西部でも暴風雨更に強まり、緊張が高まる。
10時頃には最も恐れていたことの一つであったが、遂に自宅の屋根瓦の一部が吹っ飛んだ。
先般の台風で被害を受け、修理の業者も未だ他の手当てでこちらまで手が回らず修理日程の目処も立たない状況で迎えた今回の台風であったが、やはり無傷では済まなかった。覚悟はしていたが嫌な予想が現実となったことに戦慄した。ただ、どうやら飛んだ瓦で近隣には迷惑を及ぼすことはなかったことは幸い、同じく恐れていた停電や窓ガラス破損などの難も逃れた。その後11時頃には風雨も弱まり次第に外の音も聞こえなくなり床につくことにした。
夜が明け、各地の被害の状況が明らかになってくるとその悲惨さに言葉を失う。
広域に渡って、河川の氾濫、洪水による浸水の模様が伝えられて来た。我が家の屋根瓦なぞ全く比較にならない大規模災害に気が遠くなった。復興への道のりに思いを馳せるも、今は何とも言葉が出て来ない。長野、千曲川周辺、栃木の佐野を始め馴染みのある土地の惨状を見て驚く。
数十年に一度級の台風は、今後は毎年一度や二度来ても不思議ではないことであろう。構造的に気象の環境は激変している。人智を遥かに超えた天の怖さ、残酷さを改めて感じた。

# by ptaro2009q2 | 2019-10-13 08:36 | Netherlands

オランダ ライデン(5)

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本日目が覚めてすぐFacebookで読んだ記事、台風19号の影響で首都圏に及ぼす被害状況の予想記事であったが、史上類を見ない規模の内容に戦慄した。
長年生きて来たが生命の危機を強く感じる台風に遭遇するのは初めてのこととなる。
温暖化をまだまだ甘く見ている人間への自然からの鉄拳なのであろうか。
昨日は暴風に備えて家を新築した時に植えたコニファーの木を切り落とした。
当初は80cm程度だった木は22年で3m以上のものに成長した思い入れのある記念樹であったが、先般の台風でだいぶグラグラし始めたので今回思い切って切ることにしたのだ。
しかしながらこの程度の準備ではもはや「焼け石に水」程度で、停電や窓ガラス破損、いやそれ以上の破壊的な状況が現実となり復旧まで長期に及んだ場合には、備えは充分とは言えないかと心配・反省するも後の祭りか?
兎にも角にも皆様のご無事を祈るのみである。
千葉西部の自宅、既に轟音伴う大雨、先ほどゴミ出しに行ったら僅かな時間でずぶ濡れとなった。
これからなんと、仕事である。豪風雨で歩けないので車で行くことにしたが、どうなることやら。

# by ptaro2009q2 | 2019-10-12 08:52 | Netherlands

オランダ ライデン(4)

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欧州拠点から同僚社員が東京に出張して来た際には夜に会食をしながらビジネス以外にも色々な話に花が咲く。
時に欧州各国の国民性についての論評あれこれを聞いたことがある。
いささか古典的とも言えるジョークであったが、各国民を皮肉るこんな笑い話があった。
<英国人のコックの腕前を持ち、フランス人のように運転し、ドイツ人のようにユーモアを持ち、スペイン人のように謙虚さを備え、ポルトガル人のようにメカに強く、ベルギー人のように役に立ち、フィンランド人のように饒舌で、オランダ人のように気前が良く、オーストリア人のように忍耐強く、イタリア人のように統制が取れて、デンマーク人のように慎みがあり、アイルランド人のように酒を飲まず、ギリシャ人のように計画的で、スウエーデン人のように融通の利く、そういう人に私はなりたい>
以上は記憶が定かでなかったので丁度見つけた某ブログから引用、一部を勝手に修正したものだが結構可笑しい。
オランダ人についてはやはりケチであることを笑われておる。
オランダ人を意味するDutch から、Dutch Account これは「割り勘」、下ネタとなり恐縮だが Dutch wife は「奥さんや恋人にお金をかけなくても良い人形」、と教えられた時には皆で大笑いをした思い出がある。
ことほど左様にオランダ人のケチさは笑いのタネになりがちだが、まあこの辺はむしろつまらないことには金を出さない合理主義が根底にあるのではないかと想像する。(寄付活動には積極的だと聞いた。)
英国人が大ジョッキでビールを鯨飲している隣りでオランダ人がレモネードをストローですする風刺画があったが妙に面白かったことを思い出す。
個人的には欧州2週間旅では、他国では余り感じなかった人のフレンドリーさ、素朴さをオランダ人に見出すことが出来た。皆英語を流暢に喋り、大変親切であった。厳しい歴史を乗り越えて来た小国、寛容で物事に囚われない柔軟さを兼ね備えたオランダ国民については好感を抱いた旅であった。
それにしても、写真の女性、ご多分に漏れずデカい、そして足が長いナアー。





# by ptaro2009q2 | 2019-10-11 09:48 | Netherlands

オランダ ライデン(3)

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オランダは日本とは縁の深い国。
ことさらライデンは嘗て日本が鎖国をしていた江戸時代初期から長崎と深い交流があった。
当時の欧州の大国であった英独仏西から干渉、侵略を受け続けて来た小国オランダだが、したたかな商才を持ち、日本が鎖国している時代にも「唯一交流のある外国」となり、江戸時代を通じて日本の文化、学問の隆盛に大きな影響を与えることとなった。
旅の前に流し読みしていた司馬遼太郎の「街道をゆくシリーズ」の『オランダ紀行』を今改めて読み返している。鎖国時代の日本との交流のみならず、オランダの歴史・文化・芸術について司馬遼太郎ならではの広範かつ仔細な知識と観察に驚かされる。蘊蓄に富み、古い文章だが実にビビッドで新しい。
余談だが、当著ではゴッホ、レンブラント、フェルメールなどのオランダ画家についての考察も興味深く、改めて当地に再訪したい強い思いに駆られるものであった。
そう言えばライデンの街中には、「出島通り」という名称の通りがあったり、建物の壁面に芭蕉の俳句が日本語で書かれていたり、と日本とのゆかりの深さが随所に見られる。
ライデン大学では日本学部があり日本語を話す学生が多数居る。
訪れたシーボルト博物館の受付には同大学の男子学生が座っており、お互いにたどたどしい日本語で話をして笑いあった。良い思い出である。








# by ptaro2009q2 | 2019-10-10 06:52 | Netherlands

オランダ ライデン (2)

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未来的なデザインが印象的なライデン中央駅を出て間もなく、正面には運河の先に大きな風車が視界に入って来た。
1743年に建てられた7階建ての風車、200年以上現役として稼働した後、現在は市立風車博物館として風車内の仕事場や生活の様子を展示している。
また風車上部まで上がるとライデンの街並みが一望出来る。
しばしの間、これぞオランダの原風景とでも言うべき美しい光景に心を奪われていた。



# by ptaro2009q2 | 2019-10-09 06:23 | Netherlands

オランダ ライデン (1)

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オランダの首都アムステルダムから南西へ列車で30分ほど、ライデン (Leiden) に到着。
オランダ最古の大学都市であり、画家レンブラントの生地でもある。
2週間の欧州旅でオランダ、ベルギー、フランスのパリ、そしてスペインのバルセロナを巡り、最後に再びオランダ経由KLM便で帰国という旅程を組んでおり、最後のオランダの1日はアムステルダムで過ごす予定であったのだが、旅の当初のオランダ周遊時に車窓から見たライデンの風景が素晴らしく、予定変更して当地にやって来た。
街中に運河が張り巡らせられた美しい街、忘れられない訪問となった。



# by ptaro2009q2 | 2019-10-08 07:51 | Netherlands

新橋 (4) 烏森口小路 - 2


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北アルプス3000m級の高山の縦走が続くと、山小屋の夜、ふと都会の雑踏やぼんやりした灯りが恋しくなるのは、無い物ねだり。




# by ptaro2009q2 | 2019-10-07 07:01 | 東京
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燕岳から大天井岳に向かう稜線を歩く。
天気晴朗、360度のパノラマ絶景。
憧れの槍ヶ岳を視線の先にしながらの幸福の時であった。
槍ヶ岳(3180m)、天に槍を衝く特徴的なお山。
『日本百名山』の著者・深田久弥は同著で <一生に一度は富士山に登りたいというのが庶民の願いであるように、いやしくも登山に興味を持ち始めた人で、まず槍ヶ岳の頂上に立ってみたいと願わない者はないだろう。>と書いていたが、自分もまさしく槍ヶ岳信者、今回の3泊4日山旅のハイライトとして長年の夢、槍登頂に初チャレンジする行程を組んでいたのであった。
憧れの山、というだけではなく、実際登るべき山として意識すると緊張感も次第に高まる。
3000mを超える未知の領域に立つ自分、一歩間違えると死にも繋がる険しい岩壁が待ち構える厳しい自然、脳裡には色々なシーンがフラッシュバックしていく。



# by ptaro2009q2 | 2019-10-06 09:34 | 長野
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燕岳頂上付近(2763m)から、北アルプスの雄、槍・穂高の峰々を臨む。
美しく、雄々しく、このうえなく厳かな峰々。
深く急峻な谷。
壮大なスケールの前に息を飲む。

# by ptaro2009q2 | 2019-10-05 07:19 | 長野
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表銀座縦走ルート、すなわち 中房温泉から合戦尾根、燕岳、大天井岳、赤岩岳、西岳ヒュッテ、水俣乗越を経て槍ヶ岳へ至る縦走ルート。
3000mの天空に拡がる美しい景観は世界レベルだと思っている。
山登りの醍醐味・喜びは、辛い山道を息も絶え絶えに登り頂上を極めることにあるが、それ以上に頂上を極めた後の稜線歩きにあるとつくづく思っておる。
苦難のうえ登った者だけに与えられるご褒美が稜線歩きなのである。
燕岳から大天井岳に至る表銀座ルートは、その名にふさわしく実にゴージャスな景観、美しい稜線、そしてその先に聳える穂高連峰、そして最もシンボリックな形状を呈している槍ヶ岳が目線を上げるたびに視界に入ってくる。
天空のお散歩(滑落などちょいと危険、命がけで歩く箇所もあるが)、この喜びは他に代えるものがない。
歩を進めるにつれて槍ヶ岳の姿が少しづつ大きくなってくるのが嬉しい。
一歩一歩が感激を招く。

# by ptaro2009q2 | 2019-10-04 06:03 | 長野
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山旅2日目。
山小屋の朝は早い。
燕岳に対峙する燕山荘(えんざんそう)、人気の高さでは日本一の山小屋と言われるが、年輩客が多いせいか、朝も4時頃になるとあちこちのベッドからごそごそと物音やら話し声が聞こえて来る。
5時半を過ぎると、かなりの人達が外へ出る。
9月末、2800mの山頂、早朝の気温は0度に近い。
一部の客はその日の長い山行に既に出発しているのであろう。また、日の出、ご来光を仰ごうと外へ出ている人も多い。
「モルゲンロート」とは朝焼けのこと。
山荘の東側上部にちょっとした展望台があり、人々が日の出を待っている。
山々のうえに拡がる橙色に染まったモルゲンロートが感動的であった。
正面には「富士山」が雲から頭を出している。振り返れば、北アルプスの山並みに極めて特徴的な「槍ヶ岳」が屹立しておる。
何という感激、何という僥倖!
山国ニッポンの最もシンボリックな2座が一箇所から一挙に見ることが出来るのである、まるで盆と正月が一緒に来たようなものではないか。
山小屋の年配女性スタッフによると、このところずっと天気が悪く、「晴天」という言葉を忘れてしまうくらいであったので、その日の好天は実に久しぶりであったと。
いや実に幸運な朝であった。

# by ptaro2009q2 | 2019-10-03 05:50 | 長野
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3年前丁度今頃の、北アルプス・表銀座ルート3泊4日縦走の旅。
札幌から高校同級のKちゃん、Kちゃんの函館中学同級のTさん(埼玉ご在住)と、憧れの表銀座ルート縦走の山行へ。
3泊4日で標高3000m近くの世界を4日間ひたすら歩きに歩いた。
余りトレーニングも積まずに臨むこととなり、スタミナも気力も持つかしら。
初日は新宿から特急あずさ号で穂高駅へ。
バスで中房温泉登山口へ行き、12時過ぎからいよいよ登山開始。
雨が降り出し、「北アルプス3大急坂」と言われる燕岳は今回が4度目であるが、ずぶ濡れとなって厳しい山登りとなった。
過去3度は急登に死ぬ思いしながら4時間弱で登っていた燕岳だが、今回は登頂まで5時間半近くを要した。
しかし休憩が多かったせいもあり、疲れはこれまでの中では最も少なかったか。
急いで登るだけが能ではないかと、新境地に。
標高上がるにつれ見た赤黄に色づいた木々の美しさに感動。
更に山頂で対面した燕岳(2763m)の美しさに、これまでの疲れ・苦労は全て消され報われた思いであった。
神の領域にまた来れた喜びに全身包まれた。


# by ptaro2009q2 | 2019-10-02 08:19 | 長野

小樽 (1) 小樽運河

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「逢いたい気持ちは ままならぬ 北国の町はつめたく遠い~♪♪」
早朝、新千歳空港到着、すぐに実家のある札幌をスルーして小樽へ向かう。
札幌から荒波うねる日本海をみながらの車窓風景は心揺さぶられる。
小樽駅に着くと、ぐるぐるとこの歌が脳裡を駆け回る。
オジサン世代には涙腺を刺激する歌だ。
今年も来たぞ、小樽へ。
幼少時代3年を過ごした懐かしい町へ。
少しひんやりとした空気だが、それでももっと冷たい空気、「しばれる」気候、粉雪舞い散る、が似合う町である。
嘗ては「北のウォール街」と呼ばれた威厳ある旧・銀行建築、古い木造洋館、石造りの倉庫、そして街のあちこちには坂があり、街歩きが好きな人間にとってはこれほど刺激的なところもそうはない。
一緒に行った嫁さんは余り歩き回るのを好まないので行きたい所すべてをカバーすることは出来なかったが、幼少の頃の記憶や原体験が浮かんでは消える貴重な時間を過ごすことが出来た。
さて、本日は我が誕生日、この歳の自分の姿というのは想像できなかったナア。
中性脂肪が高い以外は健康で、まだ同世代の方々と比べるとひと世代以上若く見られる。1日30km平気で歩くほど元気であるが、人としてはまだ課題だらけだ。
自分にとっては節目となる誕生日だが、歳をとるにつれ、むしろこれは子供を持ち必死に育ててくれた両親にとっての記念日だという風に思うようになって来た。年老いた両親、いつまでも元気で、そして大感謝です!

# by ptaro2009q2 | 2019-10-01 09:19 | 北海道
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テムズ川、コッツウォルズ近くを源流とし西に流れ下流ではロンドンを経由して北海に出る全長346kmの大河。
日本最長と言われる信濃川が367kmというから、ほぼそれに匹敵する長さである。
写真は住宅街と繁華街を繋ぐリッチモンド橋からの一枚。
競技用のボートが何艘も並ぶ。
当地には2週間ほど滞在したが、大半を宿泊したホテルは写真上方、川の左岸、リッチモンドの丘と言われる場所にあった。
ホテルを出た丘の上から見下ろすテムズ川の光景は、「英国で最も美しいテムズ川の風景」と言われていることを同スタッフから知らされた。
なるほどゆっくり大きく蛇行するテムズ川、緑の牧草地が森林越しに見える様子は絵のように美しい。
多くの画家や詩人に愛された光景と言われ納得した。
ロマン派風景画家でのちに印象派画家達にも大きな影響を与えたターナーもこの眺めが好きで何度も訪れ絵を描いたという。
1819年公開の「摂政皇太子の誕生日のリッチモンドヒル」という絵を帰国後調べて見つけたが、まさしく自分の目で見た景色そのものであった。
リッチモンドヒルからの眺望の名声はターナーの絵の頃から英国全土に広がるようになり、19世紀中頃には環境保護の機運が盛り上がる。このエリアの土地建物の売買や土地利用の用途を制限するなどして景観保護に努めたそうだ。
200年前のターナーの絵がそのまま同じ様子で今も残ることに静かな感動を禁じ得ない。

# by ptaro2009q2 | 2019-09-30 09:24 | UK
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ロンドン中心部から西側へ、テムズ川のほとりにあるリッチモンドの街。
メインストリートからあれこれ裏道に入ってみる。
狭い石畳の道の先にパブを見つけた。
英国の街角では良く見る風景。
御多分に洩れず、戸外の軒先でも昼からオジサン達がビールを飲んでいる。
あちこちにある英国のパブ、これは日本の喫茶店文化に通じるものがある。
誰にも邪魔されずに自分の時間を過ごす、また、友との語らいにも良い。
夜ともなるとどの店も外にも溢れるくらいに客が溢れて盛況となるパブだが、ジョッキ片手に狭い路地でのどかな午後を過ごす生活が良いな。

# by ptaro2009q2 | 2019-09-29 10:11 | UK
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ザ・ビートルズの11作目のスタジオアルバムでロック史に残る名盤「アビイロード」が発売からちょうど50年を迎えた。
昨27日、その50周年記念エディション版が全世界同時発売ということで、自分も近所のタワーレコードに駆けつけ、記念盤<3CD+1ブルーレイ、豪華本付きボックスセット、金12,800円なり>、を購入してきた。
高音質でミキシングされた「アビイロード」のリミックスだけではなく、追加セッションなど聴きどころ満載のセット、楽しみでしょうがない。
ビートルズについては思い出が多すぎて何から書いて良いか分からぬほどであるが、兎に角もビートルズが世に出て以降、彼らの音楽・思想とともに同時代の人間として生きてきた幸福を強く感じるものである。ビートルズなしの青春は考えられなかったし、解散後も恰も自分の血や肉の一部としてビートルズは我が体内に生きておる。
一曲一曲に思い出があるし、現在聴いてもまた違う感傷や解釈、そして新しい発見がある。
バッハ、ブラームス、ベートーヴェンがクラッシックの3B⁇、ビートルズも加えて4Bにしたいほど、ビートルズ音楽はクラッシック、古典である。
「アビイロード」は中三頃にLPのレコード盤を購入、それこそレコードの溝が擦り切れるほどに聴いた一枚であった。
恐らく自分自身、一生の間で<最も良く聴いた一枚>であろう。
ラジオ日本、という東京のローカルラジオ局が毎週日曜日午後7時から放送している「THE BEATLES10」という一時間番組が好きで毎週愛聴している。
余りにも良い番組なのでスマホのアプリRADIKOでも録音を聴き直しているくらいだ。毎週ビートルズ曲のリクエストをランキングして発表する番組だが、ビートルズに関する諸々のエピソードを聞いているとまるで考古学の世界のようだ。
番組スタッフや視聴者があれこれ根ほり葉ほり色んな事実を掘りさげ解釈を加えたり、蘊蓄を披露したり。
最近ひと月ほどの同番組のランキング、ベスト10の大勢は「アビイロード」の曲で占められていた。

写真は娘の留学先近くのリッチモンドの街角。
店頭にビートルズの写真、という記憶があってその写真を本日掲載しようとして昨日探したのだが、一時間ほど探しても見つからなかった。
本日、Facebookで「過去の思い出を振り返ってみましょう」のページ、過去年の同じ日に投稿した記事が出てくる仕組みなのだが、何と探していたこの写真が今朝ひょっこり同欄に出ており驚いた。ビートルズが奇跡を呼んだ、か。


# by ptaro2009q2 | 2019-09-28 10:50 | UK

ロンドン (11) 地下鉄

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地下鉄を ”Subway” というのは米国や日本式、ロンドンでは ”The Underground”、或いは、トンネルの形状からと思われるが、”The Tube" と呼ばれている。
写真はロンドンの地下鉄車内の模様。
地下鉄車両内は、とても狭い。
標準より狭い東京の都営地下鉄の大江戸線の狭さを更に上回る。
しかし、結構頻繁に電車が来るので、朝夕のラッシュアワーでもおしあいへしあいの超満員状態にはならずに済むようだ。
数年前であったが、運賃は僅かひと駅乗っても2.40ポンド、円換算400円(当時)をくだらない。
ロンドンの物価高は乗り物に限らず、参ったわ。
地下鉄料金は時間帯や運行距離によるゾーンにより分かれており、更に、オイスターカード等のICカードを利用すると多少安価になるようだ。
地下鉄駅構内、エスカレーターで人々が並ぶのは右側。
東京ではなく、大阪と同じだ。
1863年開業の世界最古の地下鉄、路線のネットワークも極めて広範かつ複雑であるが、乗りこなせるようになれば面白そう。東京と同じように一日乗車券を購入してロンドン三昧をやってみたいものだ。




# by ptaro2009q2 | 2019-09-27 06:27 | UK
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写真は娘のホームステイ先近く、Richmondの目抜き通りにて。
バスを降りたところで、制服を着た女子高生がたむろしているところに遭遇。
イギリスではスーツやセーターを着た男女生徒の制服姿をよく見かけるが、いずれも非常に恰好が良い。絵になっている。
男子小学生低学年でも、スーツ・ネクタイ姿で小さいながらもぱりっとしており、流石「紳士の国」を思わせる。
映画のシーンのようで可愛いなあと見とれていたら、カメラをぶら下げている姿に気付いたようで4人の女子高生、なんとポーズをとってくれた。
一番左側の女の子は、片言の日本語で語りかけてきた。
聞くと自分は、“Half Japanese”、母親が日本人だという。妙に盛り上がった瞬間であった。
しばし4人とあれこれ会話、お付き合い頂いた。
昔、「小さな恋のメロディー」と言う映画、ビージーズがMelody Fair という主題歌を歌い、トレイシー・ハイドという可愛い女学生役がヒロインだった映画を思い出した。
映画の世界が現実にそのままにある英国、気さくな女学生たち、いやまあ素晴らしきかな。

# by ptaro2009q2 | 2019-09-26 06:07 | UK
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ロンドンの繁華街、その中心の中心たるピカデリー・サーカスからブランドショップが続く高貴・壮観なリージェント・ストリートを進む。
もう歩くのに疲れ始めた頃に、中の路地にふと入ると、白地に黒の縞模様が美しいチューダー様式の建物に遭遇。
かの有名な、その名はリバティ (Liberty)。
これはハロッズと並ぶ英国名門の百貨店だと。
1875年開業、当初は日本・東洋の織物や装飾品を販売していたが、次第にアール・ヌーヴォー等の関連商品等、販売メニューを拡大していったという。
しかし、百貨店と言っても、数・種類とも品揃えは極めてこじんまりしている。
東京の有名大百貨店に比べれば、商品の品揃えも量も百貨店の本家本元は極めて地味で小規模、逆に言えば、日本の小売業大手の商魂と需要開拓にかけるエネルギーは比類なきもの、怖ろしいほどに偉大であることを知る。
Libertyの建物、商品力はともかく、クラシカルで実に気品と風格を感じさせる。
百貨店というよりは英国パブを連想させるのは、お昼からビールを飲んでるお気軽な旅人を毎日やっていたゆえか。(笑)


# by ptaro2009q2 | 2019-09-25 06:20 | UK
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写真は、娘が数年前に3年間ホームステイしていた先の最寄駅、セント・マーガレット駅近くの街並み。
此処から娘の学校は超高級住宅街を通り徒歩10分。
学校を挟んで駅の反対側となるが、娘のホームステイ先は写真中央の道を進んで徒歩5分のところにあった。
ロンドン郊外の静かな街で、中心部でも昔ながらの古い商店や飲食店が数軒ある程度、当然コンビニなぞない。
駅前にしては寂しさを感じたのは便利すぎる日本の都会生活に慣れ過ぎた故か。
当時、娘のホームステイでご厄介になっているご主人スティーブから、Facebook の友達申請を頂いた。
身長190cm、体重は100kgを優に超えている立派な体躯はラガーマンそのものだが、お仕事はIT関係。娘については、ご親切にも時々その様子をメールや無料電話で知らせてくれるが ”ラブリー!” を連発してくれる心優しきオジサンだった。
この時代、FBで繋がり、日本と英国、8時間の時差ものかは、お互いの様子がリアルタイムで伝わるとは、つくづく凄い時代になったと思ったものだ。
現在でも彼とは時々交信が続いている。
そう言えば、4年前の今頃にはラグビーWカップで日本が南アフリカに勝利したことを讃える熱烈メールを頂いた。
現在開催中の日本大会ではイングランドの戦績が気になってしょうがないところであろうか。
久しぶりに彼に連絡してみようか。

# by ptaro2009q2 | 2019-09-24 07:56 | UK
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暑さ寒さも彼岸まで、気温は過ごしやすく朝方は掛け布団が恋しいほどの気候になってきた。
本来なら呑気に、これからの秋の夜長の読書や音楽のことでも浮かべたいところだが、立て続けの台風到来、九州・中国地方を始めご無事であることを祈る。
前の台風で深刻な被害を受けた千葉への影響も殊更心配、また我が家も屋根の瓦一部が飛ばされ、修理の業者も当分来れそうもないとのことでココロ穏やかならず、被害が拡大しなければと祈るような気持ちである。
地球規模の温暖化進行、加速しているのか、これまで自然災害とは無縁と思えた地域でも思わぬ被害を受けることを知らされた。
異常気象がむしろ当たり前に頻繁に起こる時代になったのだろう、意識を変え心して備えなければならない。
写真はロンドンの繁華街、ピカデリーサーカス、有数の人気・大混雑スポットである。
ニューヨークで言えばさしずめタイムススクエアといったところか。周囲には劇場などのエンタメ施設、小売店が密集、チャイナタウンも近い。
9月半ばではあったがロンドンは既に初冬、東京の11月下旬ほどの寒さ。
天気の良い日でも間もなくは陽射しが消えて灰色の重い空から小雨が降る。
知り合いの英国人知人から旅の前に「ロンドンの一日には春夏秋冬がある。」と言われ納得したことが懐かしい。
此処だけはもう少し温暖であっても良いか。


# by ptaro2009q2 | 2019-09-23 09:34 | UK
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エリザベス女王の普段のお住まいがバッキンガム宮殿であるなら、週末の棲家として利用されるのがウィンザー城。
ロンドン中心部から西へ約40kmのウィンザー城へ親子三人の日帰り旅。
もう遠い6年前、9月上旬の週末のこと、ホームステイを既に始め翌週からの授業開始が待っている娘とは当面最後の家族旅でもあった。
日本語のオーディオガイドで説明を聞きながら進む。
城壁をくぐると、この城の象徴とも言える「ランドタワー」が見える。
お城というよりは、戦いの防衛を意図した「要塞」はその歴史を11世紀に遡る。
その後代々の王様達はその時代最も流行った建築様式で建物を増築し続けており、城内は威厳ある様々の建物が並ぶ。
時に城内には近衛兵の姿も見え、一瞬此処はディズニーランドかと錯覚する。(笑)
圧巻はステート・アパートメント内の様子。
歴史ある英国王室が誇る荘厳にして華麗な美術品、装飾品、そして嘗ては世界の七つの海、五大陸を制した大英帝国の栄華を誇るかのような数々の戦争関係のコレクション、なかんづく、甲冑や銃剣が印象的。
世界を制した国の繁栄の断片をこの目で見た感動を忘れられない。



# by ptaro2009q2 | 2019-09-22 07:06 | UK
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前編に続きチョット古い英国ネタ。
2013年9月、ひとり娘の入学にあたり夫婦でロンドンに2週間滞在、その殆どを過ごしたのがリッチモンド(Richmond) という街。
ロンドン中心部から西へ地下鉄で30分ほど、テムズ川ほとりにある緑豊かな地である。
娘の留学先の学校やホームスティ先がこの地にあった。
住民の満足度や生活の質が高く、英国でも最も幸せに暮らせる理想的な土地のひとつ、と聞いていたが、噂に違わず瀟洒で品の良い街並み、テムズ川周辺の豊かで美しい緑、更には高級住宅街、と何処へ行っても映画のシーンのような夢の世界に浸ることが出来た。
900年も昔から『王室御用達』の街として英国王室と深い関わりを持ってきた歴史があることが、この土地の品性の良さを醸成しているようだ。
このような美しい土地で新しい生活を始める娘を羨ましく思ったものだった。
天候がすぐれず、毎日必ず雨が降っていたことだけが玉にキズ。(笑)






# by ptaro2009q2 | 2019-09-21 09:34 | UK
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本邦初開催のラグビーワールドカップがいよいよ本日幕を開ける。
スピードある走りや巧みなステップワーク、迫力ある肉弾戦やスクラム、高度な戦術、… 超一流チームが揃った世界的祭典は見所満載、ラガーシャツは何枚も持っていてもラグビーには大して詳しくないオジサン(私)でも興奮を抑えられない。
「男くささ」「汗くささ」そして「スマートさ」を大いに楽しもう。
写真は前回2015年ロンドン大会の決勝の会場となった地、トウィッケナムのスタジアム前の模様。
ラインアウト時の躍動感が印象的な彫像が良い。
実は当地は我が娘が2013年から留学した学校があり、娘も3年間ホームステイしていた縁ある地。
当時入学式参列のため娘と一緒に渡英したときに、最初に2泊したのがこのトウィッケナムのマリオットホテル。何とこのラグビースタジアムの中にホテルが組み込まれているのであった。
嘗て、勤務先同僚で、英国生活が長かった若手社員K君から聞いた話だと、このトウィッケナムのラグビースタジアムは、ラグビーファンにとっては「聖地中の聖地」ともいうべき場所、冬場のシーズン週末になると熱狂的なファンで溢れかえる超有名エベントスポットであるという。
ラグビーはサッカーに勝るとも劣らない英国での大人気スポーツ種目で、英国文化や人々の実態を見るには、このスタジアムでラグビー観戦をするのが大のお奨めである、との進言を頂いていて、興味津々となっていたのだ。
ホテルを併設する巨大施設に驚愕。何万人かの大観衆の熱気を思い浮かべる。
一方で、その巨大施設の周辺には飲食店や土産屋などの商業施設が一切ない住宅街のみなのにも驚愕。試合終了後、観衆は一体何処で「祭りのあとの宴」、喜びや失意のビールを飲むのであろうか。
兎にも角にも、6年前の9月中旬の思い出、時の過ぎるのは速い。
その年9月中旬のロンドンは連日初冬のように寒く、まだ酷暑の東京が信じられない気候であった。


# by ptaro2009q2 | 2019-09-20 06:35 | UK

長野 (4) 善光寺 - 3 本堂

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国宝に敬意を表して善光寺・本堂の写真を掲載。
7世紀後半の飛鳥時代が善光寺の起源と言われているが、現在の本堂は江戸時代、5年の歳月をかけ1707年に完成された。木造建築としては、奈良・東大寺大仏殿、京都・三十三間堂と並んで最大規模を誇る。
何年前か覚えていないほど前のことだが、五木寛之の文庫本『百寺巡礼』全10冊中の何冊かをBOOKOFFで買い むさぼり読んだことがある。京都や奈良などの自分の訪れたことのある寺を五木寛之はどう書くのかと興味津々に読んだことを覚えている。同時に網羅癖ではないが、五木が訪れた百寺を現役を退いたあかつきには全国行脚して訪れてみたいと強く願ったものであった。一線を退いた今、なかなかその現実には至っていないのだが、まだその夢は消えていない。母方の亡き祖父が真宗大谷派の住職であったので自分にもその血が流れているのであろう、寺が自分を呼んでいる。良い歳にもなってきた、ぼちぼち古寺巡礼の旅に出てみたいものだ。善光寺は筆頭に訪れたい寺である。
さて、善光寺本尊には日本最古と言われる「阿弥陀三尊像」が祀られていることを『百寺巡礼』で知った。奈良でも京都でもなく、信州長野に最古の仏像があるのが面白い。
『善光寺縁起』なる古書によると、飛鳥時代に信濃国の本田某が上洛した帰り道に、棄てられた阿弥陀如来像を見つけ、信濃国に持ち帰り如来堂を建立しこの仏像を祀ったとされているが、これは聊かマユツバものか?
今も善光寺の成り立ちについては多くの謎に包まれている。


# by ptaro2009q2 | 2019-09-19 08:15 | 長野