新橋駅周辺、烏森口の広場はいつも賑やか。
サラリーマン、庶民の活力が漲る地である。
SL機関車前が待ち合わせ場所の定番であるが、昼間は意外にそれらしき人影は少なかった。
311、あれから13年
2万9千人が今なお避難中。フクシマ第一原発廃炉未だ見通せず。
此処まで来ると、「人災」の色も濃くなって来るナア。
真っ当な日常が戻って来ない方々が未だこれほど多いことに何とも胸が痛む。
その後に起きた熊本や今年の能登の地震も、一日も早い復興を願うのみである。
我が人生でも忘れぬ日として記憶される311。
当ブログでも何度か書いているが、その日は勤務先である半蔵門前の高層ビル上階で地震に遭遇。
当時偶々会社の代表者の立場にあり、同僚の避難誘導、そして海外拠点からの安否確認の連絡で暫く忙殺された。
幾らか落ち着いた後は千葉西部の自宅まで凡そ40km近く、夜を通して歩くことを決意、寒い夜ラジオの実況を聴きながら夜通しアリの行列の如く歩きに歩いた。自宅着は午前4時半頃だったか。その後も避難用に神戸にレンタルオフィスを構え現地と往復する変則勤務の時期が数ヶ月続いた。
地震大国ニッポン、かくなる思い出、繰り返したくはないが、相手はなにせ地球、今後も不安はやはり拭えない。
吉村昭『三陸海岸大津波』なる古い文庫本、先ほど読了。(本棚を片付け中に偶々見つけた未読の本)
311ではなく、明治29年、昭和8年、そして昭和35年に三陸海岸を襲った三度の大津波について、それぞれ前兆、被害、救援の様子を体験者の証言を元に再現した書。歴史に学びたい。